大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)
「一宮記」に阿波国の一宮であると記載されている。「延喜式神名帳」に載っている「大麻比古神社 大神社」がこれである。 祭神は猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)で、正一位の神である。
神主:坂東石見守、永井若狭守
そもそも帝王というものは、天に対して誠意を尽くし、五穀豊穣を祈願なさり、国内においては村里の隅々に至るまで(その恩恵が行き届くようにされる)。これは元長が謹んで愚考するところである。 大いなる願いがある時には、天皇は様々な祭祀を通じて天地の神々にご祈願をされる。 大宮・正八幡大菩薩(の社殿)については、過去に大きく破損した際に(修復された)記録がある。 天地の神々や大宮の相殿、諸々の末社に至るまで
71座、官幣所28社、祈雨の神85座、日本全国の大小の神々に対して勅使を立ててご祈願された。このようなご祈願の事と祈念がなされた。これらは神明の霊跡について詳細に記されており、非常に明らかである。したがって、毎年の恒例であるためここでは詳細を省略し(諸国の神社を)巡拝することについて。
官幣所22社については、第64代朱雀天皇の天慶5年(942年)壬辰の年に五穀豊穣を祈願した(のが始まりである)。 その後、第62代(※原文ママ)村上天皇の康保2年(965年)、霜、雪、雹(ひょう)、落雷などの天災や、虫やイナゴの災難を取り除くことを祈願なさって、22社へ奉幣を行うことが定められた。 (その内訳は)伊勢、石清水、賀茂、松尾、平野、稲荷、春日、大原野、大神、石上、大和、廣瀬、龍田、住吉、丹生、貴布祢(きふね)、これらである。
その後、第65代(※原文ママ)一条天皇の正暦2年(991年)、干ばつがあり雨乞いの奉幣が行われた際、吉田、廣田、北野を加えて「22社」と定めた。同じ年の2月15日の祭礼において、穀物が極めて不作であったため……(中略)……2年ごとの官幣と定められた。 その後、後冷泉天皇の天喜3年(1055年)8月15日にも官幣が行われた。
(これらの奉幣は)毎年の恒例行事となった。日吉を加えて22社と定められた。諸国の神社は数多いといえども、例を挙げて言うならばこれらが該当する。 ……これに倣って阿波国62社(延喜式内社)の修復などを定めようとする者もいるが、当社の縁起などを考証し、五穀豊穣、悪魔退散、息災延命を祈る次第である。
「一宮記」に阿波国の一宮であると記載されている。「延喜式神名帳」に載っている「大麻比古神社 大神社」がこれである。 祭神は猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)で、正一位の神である。
神主:坂東石見守、永井若狭守
本社は四か所の社殿からなる。第一殿は底筒男命(そこつつのおのみこと)、第二殿は中筒男命(なかつつのおのみこと)、第三殿は表筒男命(うわつつのおのみこと)、第四殿は神功皇后(じんぐうこうごう)を祀る。
神主:十河出羽守
祭神は高良玉垂命(こうらたまだれのみこと)であり、武内宿禰(たけのうちのすくね)の霊である。景行、成務、仲哀、神功、応神、仁徳の六代の天皇の朝廷に仕え、その寿命は300年余りであったという。
神主:松枝右膳
祭神は天照皇太神(あまてらすすめおおみかみ)である。 神社の伝承によると、第62代村上天皇の御代、天暦元年(947年)丁未の年に勧請(神仏の分霊を迎えること)されたという。
神主:新居因幡守
祭神は菅原道真公の霊である。 神社の伝承によると、菅原道真公が筑紫(九州)へ左遷された時、淡路国の洲本・鮎原からこの地に到着され、一晩宿泊なさったため、この場所を「捨屋村(すてやむら)」と呼んだ。また、田んぼの中に宮を建てて一夜お留まりになったため、現在「田宮村」と言うのである。御船が着いた場所であるため、菅公の霊を祀っているのである。
別当(寺院の管理職が神社を管理すること):天神坊
本社は南を向いている。 神代の系図によると、信濃国の諏訪神社は、上社が建御名方命(たけみなかたのみこと)、下社が事代主命(ことしろぬしのみこと)であると記されている。当地の諏訪明神は上社の方であろうか、それとも下社の方であろうか。
別当:清水寺
神書によると、大和国添上郡の春日神社四座(の神々)である。 武甕槌神(たけみかづちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)、天児屋根神(あめのこやねのかみ)、比咩大神(ひめのおおかみ)である。
別当:春日寺
神社の伝承によると、山城国愛宕郡の吉田大明神と同体である。 武甕槌神、経津主神、天児屋根神、比咩大神の四柱の神が同じ社殿に鎮座している。
神主:榊本中務
神社の伝承によると、第49代光仁天皇の御代、宝亀年間(770~781年)に名方東郡井ノ上郷の大社として眉山に勧請され鎮座した。祭神は八幡大神、姫大神、神功皇后の三座が相殿に祀られている。条保(祝)社の尊神など、深く秘された末社が数多くある。
神主:早雲嘉治馬
『延喜式』神名帳に載っている「勝占(かつら)神社」がこれである。神社の伝承によると、大己貴神(おおなむちのかみ)、須勢理姫神(すせりひめのかみ)、事代主(ことしろぬしのかみ)神、玉串姫神の四座であり、正一位の神である。勝占鏡、勝占石など様々な御神宝があり、源義経公の古い言い伝えがある。
神主:富川官吾
神社の伝承によると、中央に素戔嗚尊(すさのおのみこと)、右脇に稲田姫命(いなだひめのみこと)、左脇に大己貴命(おおなむちのみこと)を祀る。
神主:南部和泉守
素戔嗚尊を祀っている。一国一社と号し、牛馬の守護神として国中へ札を配っている。
神主:手束主殿、手束甚太夫
神社の伝承によると、中殿に八幡大神、相殿に諸神、東西に百神の祝(はふり)が鎮座している。第42代文武天皇の御代、大宝3年(703年)癸卯の年に神託があり、第43代元明天皇の和銅元年(708年)戊申の年2月初卯の日に鎮座した。末社は75神座ある。毎月5度の祭礼、正月15日の御弓神事、2月初卯の日の湯立御神楽、万度大祓6月15日の夏祓、8月15日の流鏑馬、12月14日夜の御誕生祭がある。様々な神宝や霊石がある。この地に猿田彦大神、社日字、最初の藍染の根元由来、杖立長者、平大人、木屋の三社など、所々に旧跡がある。
神主:井開伊豫守
宇佐とは八幡大神のことである。南を向いて川の北に鎮座している。大岩の祭神の御名は未詳である。神殿は西を向いて鎮座している。
神社の伝承によると、大粟姫神(おおあわひめのかみ)、すなわち大宜都比咩命(おおげつひめのみこと)を祀っている。伊豆国の阿波神社と同体の大神である。尊号を伊古那比賣命(いこなひめのみこと)という。相殿二座の神号は神社の伝承として深く秘されている。
大宮司:小笠原大和守
当社の神記によると、大昔は喜能辺山(または矢野神山ともいう)に鎮座していた。その後2105年経った辛酉の年、小治田宮(推古天皇)の御代元年(593年)秋8月1日、神託によって杉尾山に遷座した。その後、正一位を奉られ、杉尾大明神と号した。
神主:富崎日向守
第12代景行天皇の御子である日本武尊(やまとたけるのみこと)の神霊を祀る。第14代仲哀天皇の御代に勅命により神社が建てられた。
神主:宮谷周防守
神社の伝承によると、紀伊国の熊野本宮・新宮を勧請したものである。願立者(発願者)は那須与一宗高である。
社人:巫女相模 別当:神宮寺
神主:高霧衛士助
『延喜式』神名帳に載っている「忌部神社(名神大、月次、新嘗。あるいは麻殖神、あるいは天日鷲神と号す)」がこれであるという。
神主:中川式部
山城国葛野郡の松尾神社二座、左が大山咋神(おおやまくいのかみ)、右が若山咋神(わかやまくいのかみ)であるという。社家の説によれば、当社は大己貴神(おおなむちのかみ)、酒解神(さかとけのかみ)、乙若子神(おとわかこのかみ)であるという。現在、酒造りの守護神であり、酒屋がこれを信仰している。
神主:小倉長門守
神主:白川伊織
後の宿より大麻へ至って終わりである。行程は十四里余りある。道法(道のり)は道中帳の裏書きに記してあるので、それをもって日数を測るべきである。 ことごとく成就した。
享和元年(1801年)辛酉の年 3月吉日 これを写す
徳島 石井町 新居吾嬬仁 (印)(印)