- 出石 -
徳島市観光ボランティア会の研修旅行で、豊岡市の出石に行くことになった。
出石は、但馬の小京都と呼ばれる古い城下町だ。
城跡と皿そばが有名だと聞くが詳しくは知らない。
淡路から山陽道経由で養父インターへ。
淡路や但馬のまほろばで休んで4時間ほどで出石に着いた。
途中のインターでは、丹波の黒豆などの販売が多い。
枝豆も枝についたまま売られていた。
11時過ぎとまだ早いが、まずは皿蕎麦でお昼ごはん。
皿蕎麦は、江戸時代、仙石氏が国替えの時に、信州上田からそば職人を連れてきたことに始まるらしい。
皿に載せて出てきた蕎麦を、ネギ、トロロ、生卵と薬味を替えながら食べる。
流石人気通り美味しかった。
但馬牛の鉄板焼きも美味しかった。
食後、出石城址の隅櫓を見ながら、観光センターでガイドと待ち合わせ。
直ぐに出石の町ガイド開始。
出石焼は、白磁に彫刻刀などで模様が刻んである。
家老屋敷などの間を通る。
古い町家は綺麗に復元されている。
親水舗装された道は、喧嘩だんじりの通る轍がついている。
間口が狭く奥に長い家が多い。
京都と同じ理由だそうだ。
永楽館は個人が建てた芝居小屋。
小屋内は三方に二階席がある。
古い看板。
この看板の中のいくつかは現在でも家が残っている。
舞台奥の二回は楽屋。
一階の袖口には風呂もあるらしい。
一回の座席と舞台の天井裏。
数百年前の竹組が残っている。
地下の奈落には廻り舞台の担ぎ棒。
当然人力で動かすらしい。
古いポスターや愛之助のポスターが展示されている。
EVカーで回る観光者がいる。
桂小五郎が隠れていた家の前には記念碑が。
薄いウダツのある家が数軒残っている。
酒屋さんや小間物屋
町家の奥行きは長い。
古い商家が残されている。
但馬牛や蕎麦屋が多いる
郵便局。
観光客が多いのに驚く。
皿そばの由来。
豊臣滅亡の一因となった梵鐘を作った鋳物師の家。
慶長年間、方広寺の「国家安康」鋳造事件に関わり松村家弟治左衛門は但馬国出石に到り、
庄屋長良三郎太夫方に寄寓、鋳物師を始めたとある。
五分一が五歩一になったらしい。
西方寺
旧浅井家住宅
仙石市の家紋が刻まれている火縄銃が発見されたらしい。
沢庵和尚の宗鏡寺もあった。
旧出石郡役場
明治ロマンを感じさせる。
独特な土壁の酒造。
赤い土壁が特徴的な酒蔵。
この酒蔵は270年以上前に作られた。
通常は2~3層塗って、その上に白い漆喰を塗るが、
この酒蔵は6層塗りで壁の厚さは約40㎝、壁を塗るだけで2~3年かかる。
楽々鶴と書いて「ササヅル」と読むらしい。
ちなみに鶴とはコウノトリらしい。
築300年と言われる店内で、原酒や上撰酒を味見させていただく。
スッキリした優しい呑み口だ。
お土産に原酒を購入。
鬼瓦には布袋さん。
大手門。
辰鼓楼。
時報として太鼓を鳴らしていたらしい。
出石城址には隅櫓が再建されている。
城跡のお稲荷さん
外堀を移した用水路。
復元された隅櫓。
徳島も、太鼓櫓や月見櫓が再建されれば良いのになあ。
古い町並みが、寂れつつあった時に町ぐるみで町興しに取り組み、見事に再興された町に感心した。
里山倶楽部四国
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