- 鶴林寺 -
今年はまだ鶴林寺にお参りに行っていない。
今日はああ高くて良い天気の予報なのでのんびりとお参りしよう。
標高470メートルの鷲が尾の山頂にあり、遠く紀州や淡路の山峰、遙かに太平洋を眺望できる風光明媚な霊山が境内である。
樹齢千年を超すような老杉、檜や松の巨木が参道を覆っており、寺門は静謐ながら隆盛の面影をしのばせる。
寺伝によると延暦17年、桓武天皇(在位781・806)の勅願により、弘法大師によって開創された。
大師がこの山で修行していたとき、雌雄2羽の白鶴がかわるがわる翼をひろげて老杉のこずえに舞い降り、
小さな黄金のお地蔵さんを守護していた。
この情景を見て歓喜した大師は、近くにあった霊木で高さ90センチほどの地蔵菩薩像を彫造、
その胎内に5.5センチぐらいの黄金の地蔵さんを納めて本尊とし、寺名を鶴林寺にしたといわれる。
また、境内の山容がインドで釈尊が説法をしたと伝えられる霊鷲山に似ていることから、
山号は「霊鷲山」と定められた。
 
よってね市に駐車して弁当用の散らし寿司と、みかんを事務所用と自宅用に10kgの二箱を買う。
生名川の桜はまだ芽吹いていない。

ユキヤナギが咲き始めていた。
 
ホウジロが「一筆啓上仕り候(いっぴつけいじょうつかまつりそうろう)」と囀っている。
 
東林庵にお参り。
由緒: 延暦12年(793年)、弘法大師が19歳の時にこの地を訪れ
、当時一草庵であったこの場所に滞在して薬師如来を祀ったと伝えられています。
 
立派なイチョウも葉を落として寒そう。もうすぐ芽吹き始めるかな。
 
マガモの夫婦はまだお眠り中。
もう随分と歳を取ったと思うが仲が良いなあ。
 
山道に入っていく。
振り返ると中津峰山。
 
なんということ。
遍路小屋の前の桜が切り倒されている。
 
毎年きれいな花を咲かせていたのに。
まだ枯れるほどの歳ではないのでなんで伐採したのだろうか。
遍路小屋の前は切った小枝で掃き溜め状態。
 
上の河津桜は切られていない。
 
水飲み大師の前でミカン休憩。
 
219回の遍路道標。
此処から左へ行くと鶴峠経由で太龍寺へ行くことができる。
 
南北朝時代の丁石。
 
この辺はさざれ石が多い。
さざれ石は、小さな石の粒が風化や侵食を経て丸く細かく砕かれ、
粘着性のある結着物質で少しずつ固まることで集団として安定した状態になる石。
小さな石が巌となると歌われている。
 
一旦車道に出る。
 
那賀川の眺望。
 
又車道に出る。
 
通夜堂跡の弘法大師像

古い石像
 
山門に着く。

 
大師堂や護摩堂をお参り。
 
本堂をお参り。

古い宝篋印塔
 
鶴林寺山頂へ。
若い御夫婦がやってきた。
此処で登山者に会うのは珍しい。

江戸時代後期、文化14年(1817)着工、文政10年(1827)上棟。
本塔の特徴は勾欄にある。初重は「擬宝珠」、二重「はね」三重に「逆蓮柱」を用いて固めている。
此の塔の落慶儀式に庭儀曼荼羅供の大法会が執り行なわれたが往時の儀式用具も完備し設計図面も現存。
徳島県下唯一の三重塔として昭和27年県指定重要文化財となる。

金剛界五仏(五智如来)
 
邪鬼(隅鬼)が軒下の四隅で塔を支えている。
これは単なる邪鬼ではなく、仏法を守るために改心し、その怪力を使って
**「仏塔を永遠に支え続ける」**という大役を担った「力神(りきじん)」としての姿です。
重圧に耐えて建物を守護する「我慢」や「護法」の象徴とされています。
 
左は、鉄拐仙人
右は、琴高仙人
 
左は、黄安仙人(こうあんせんにん)
右は、葛玄仙人(かつげん)
 
左は、張良(ちょうりょう)仙人
右は、鶴に乗る騎鶴仙人(きかくせんにん)
 
左は、黄石公と張良(こうせきこう と ちょうりょう)
右は、曹国舅(そうこくきゅう)
 
左は、李鉄拐(りてっかい)
右は、葛玄(かつげん)
龍が多く描かれるのは火防の為。
 
ゆっくりしてから、下山。
 
若い外国の女性がフウフウ言いながら登ってきた。
拙い英語で話しかけたがわかってもらえなかった。
此の道を登ってくる外人は珍しい。
右は、遍路墓。
単なる墓標ではなく、後の世に同じ道を歩く巡礼者を見守る「道しるべ」や「守り仏」としての役割も兼ねている。
 
農道を横切る。
 
此処にも多くの遍路墓。
 
新農道手前の地蔵堂に着く。
 
明和のお地蔵さん
 
天保のお地蔵さんも有る。
これらのお地蔵さんは、新農道建設で除けられた地蔵を集めたものと思われる。
 
新しい道標が出来ていた。
 
白梅が満開で、甘い香りが漂っている。
 
ヤブコウジと古いお墓群。
 
円城寺に着く
 
地神塔にもお参り
 
町に降りてきた。
 
21日から始まるひな祭りの準備が進んでいた。
新しいスーパー
里山倶楽部四国
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