- 気延山 -
4月5日に自治会の人達を中心に、気延山の歴史散策をする予定。
何回も歩いたところだが、縦走路を歩かずに史跡だけを回ったことはない。
実際にどのくらい時間がかかるのか、年寄でも歩けるのか、実地検証に出かける。
 
史跡資料館に駐車して出発。
矢野城址に向かう。
農家の梅が満開だ。
 
奥谷古墳の手前から城山に入る。
 
矢野城址は、戦国時代三好氏の重臣として活躍した矢野駿河守の居城だった。
この神社を建てたマルヨシセンターの創業者の矢野氏は、駿河守の末裔になる。

神社建立の石碑
 
古い社と明治34年の常夜灯
 
矢野城址から降りて、八倉比売神社に向かう。
2つ目の鳥居は弘化3年建立の石鳥居。
 
寛政時代に藩主蜂須賀治昭の命令で建てられた地神塔。
 
摂社・箭執神社(やとりじんじゃ): 祭神は櫛岩窓命と豊岩窓命で、天石門別神とも云う。
八倉比売神社の祭神は天照大神とする説があり、大神が高天原から降臨してくるまで箭と弓で守ったという伝承が残っている。
神社の随神門にいるのもこの神々だとか。
最近、改修されたようだ。
 
案内板はもう読めない。
つい数年前は読めたのに。
手水端には矢取大明神と刻まれている。
天保十五年(1844)九月吉日建造と記してある。
 
参拝路の桜が咲くと見事なんだけれど。
途中で宮司さんのお宅に立ち寄り「高天原の証明」を購入して少しお話をする。
 
宮谷古墳。
3世紀後半に造られた前方後円墳。
三角縁神獣鏡が3個も見つかった。
 
古墳から参道に出る所には古墳の上に青石の祭壇があり古い社が祀られている。

社には貞亨3年と刻まれている。
貞亨3年は1686年で、江戸時代初期だ。
八倉比売神社の遺跡の中で年号が解るものの中ではかなり古い。
 
少し参道を下ると松熊神社
御祭神は手力男命(タヂカラオノミコト)と天宇受女命(アメノウズメノミコト)の2柱。
天照大神の天岩戸隠れのときに活躍した、ゆかりが深い神々だ。
箭執神社を「矢の御倉」、松熊神社を「弓の御倉」といい、天照大神が高天原から天下ったときにお守りした神さまだとか。
 
八倉比売神社の石段に向かうと家内は膝が痛いので車道経由で行くという。
距離は階段に比べて3倍くらいだが、当日はどちらを案内しようか?

境内に入ると目につくのは稲荷社。
 
元々は違う神社で手に石を乗せた可愛い狛犬が残っている。
灯籠に刻まれた神社の名前が読めない。
「都神社」とも読めるが。
 
八倉比売神社にお参りすると本殿が工事中。

大きな柱などを追加して補強しているようだ。
 
本殿横から古墳の円墳部分にある奥の院に向かう。
入り口にはサルタヒコを祀っている。
 
奥の院にお参りしてから剣山眺望ポイントへ。
霞んでいて良く見えないが雪はかなり溶けているようだ。
 
ハイキングでは行かない予定だが時間だけ調べるために登頂。
五差路から15分かかった。

グルっとと回って帰ってくると35分くらいだ。
当日二班に分けることができれば頂上まで行ってもいいなあ。
 
滑る坂に気をつけて大泉神社へ。
若いカップルが真名井の井戸を熱心に見ていた。
 
大泉神社から子供広場を経由して下っていくとアオモジの蕾がほころび始めていた。

まほろばの里展望所で昼食。
 
矢野古墳に向かう。
新しく建て直した広浜神社は扁額もなくて知らない人が見たらただの小屋に見えるだろう。

常夜灯には天明5年9月と刻まれている。
 
矢野古墳の天板の大きな青石。
 
矢野古墳内部は相変わらず水も入っていなくて大きな青石が素晴らしい。
この古墳は6世紀位の建立だが平安時代まで祀られていたらしい。
ユックリ歩いたつもりだが、予定よりかなり早かった。
矢野古墳は資料館の学芸員に案内をお願いしているので1時に合わせなければいけない。
史跡公園の竪穴式住居の案内などをして時間を潰そうかな。


総歩行距離 4.6km
累計標高差 ±290m
総行動時間 3時間30分
里山倶楽部四国
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