- 気延山 -
いい天気が続くが、喉の痛みが引かず体調はもう一つ。
しかし、家にこもっていても体脂肪が増えるばかりだ。
今日もいい天気のようなので、ちかくの気延山に出かける。

史跡資料館に駐車。
今日も青空が広がっている。
 
矢野駿河守の居城だった矢野城址の脇を通ると古い石仏や墓が残っている。
 
五輪塔や庚申塔も。
 
祠の横には立派なモチノキが。
矢野城址を右に見て史跡公園に向かう。
 
枇杷の花が満開だ。
 
ロウバイも満開で甘い香りが漂っている。
 
ヒマラヤザクラはもう終盤。
去年は今頃満開だったのに。

八倉比売神社は古墳の一部を削って建てられたとの話もある。
しかし、神社の裏は緑色片岩の岩塊でできており、古墳ではないと思う。
 
社務所は石垣の上に建っている。
 
新しい稲荷社は、古文書によると倉稲魂命(宇迦御魂神)を祭る祠があったそうだ。
石灯籠に都神社と刻まれていて不思議だったが、倉稲魂命を祀る神社を都神社と呼ぶこともあるらしい。
 
青石の石組みの上に残っている古い祠がそうだろうか。
 
八倉比売神社の境内は山の中腹にしては広い。
良く見てみると緑色片岩の岩盤の上に建っているようだ。

本殿の建っている玉垣の中の石灯籠には元文3年 1738年 盛 孫兵衛 盛 茂兵衛と刻まれている。
側には丸い石の台座の上に崩れかかった狛犬もある。
此のことから、本堂は少なくとも元文3年より前には建っていたと思われる。
 
本殿の裏は緑色片岩の岩を削り取って平らにしたあとが残っている。
 
玉垣は皇紀2600年記念に寄進されたようだ。
現在の社殿は宮司さんの話によると茨城県の信者が私財を投じてその時に建設したとのこと。
去年又、茨城県の信者により、本殿の心柱を初めとする大改築が行われた。
本殿の床下も緑色片岩の塊。
 
色々と問題ある案内板と行事予定表。
なんと今日はお粥初神事が行われるようだ。
「お粥初神事」とは、主に五穀豊穣を祈願し、その年の農作物の出来栄えや世相を占う伝統的な神事だ。
地域や神社によって「粥占祭(かゆうらさい・よねうらさい)」、「筒粥神事(つつがゆしんじ)」、
「御粥祭(おかゆまつり)」など様々な名称で呼ばれる。

八倉比売神社にお参り。
まだ神事は始まっていない。

境内に一基の立派な石灯籠が建っている。
天岩戸別八倉比売神社と彫ってある。
 
寛延二年(1749年)九月 矢野村氏子中 と 願主 盛 源助 と彫ってある。
今までの調べでは此の頃までは杉尾神社と呼ばれていて、八倉比売神社と呼ばれるのは幕末だと思っていた。
本殿が盛氏に依って建設された後すぐに八倉比売神社と呼ばれたらしい。
 
昨年、本殿や拝殿が改修されたときの記念碑。
茨城のシティハウスコーポレーションが一千万円も寄進している。
宮司さんや禰宜さんの正式なお名前を初めて知った。
 
社殿の左奥から気延山に向かう。
八倉比売神社1号墳、2号墳の横を通っていくが、前方後円墳ではなく 小さな円墳のようだ。
 
展望所からは冠雪した一の森や剣山が見える。
ソヨゴの実がまだ残っている。
 
タマミズキの赤い実が見事だ。
 
頂上へは緑色片岩の岩を乗り越えていく。
東の峰も全体が岩のようだ。
気延山頂上も古墳だったという人がいるが、此のような岩塊でできた山頂は古墳ではない。
眉山も緑色片岩でできた山だ。
しかし、その山頂近くにある八人塚古墳は、岩塊の上に石を積んで作られた石積古墳だ。
気延山にはそのような石積の跡は残っていない。
 
気延山山頂。
役行者や大師像にお参り。
 
石像の後ろを見ると昭和59年森本院と彫られている。
 
大きな祠の横には昭和32年森本院と彫られている。
 
すぐ下の壊れた石室跡や不動明王像も岩盤の上に置かれている。
古墳などの跡は見られない。
 
縦走路を進み、いつもの天保3年のお地蔵様にご挨拶。
 
フユイチゴがまだ残っている。
 
前山峠着。

一の森が真っ白だ。
 
石室の石仏にお参り。
 
ヤブムラサキやカクレミノの実がまだ残っている。

金ちゃんヌードルで昼食。

消防車のサイレンがけたたましく響く。
風が強いので延焼しなければよいのだが。
 
八倉比売神社に帰ってくると、お粥初神事が始まっていた。
息子さんの禰宜により執り行われるらしい。
次々と氏子さんが集まってきた。
もう一度ヒマラヤザクラを見に寄る。
 
センダンの実がまだたくさん残っている。
 
立派なクロガネモチの木
 
早くもアオモジの蕾が膨らみ始めていた。
 
阿波のまほろば見晴らし場で一休憩。
正面の眉山に眉山カントリーが見える。
あそこに八人塚古墳がある。
こうして見ると屋の古墳群とはすぐ近くだ。
 
奥谷1号墳の横から駐車場に帰る。
此の古墳は前方後円墳らしい。
2号墳もすぐ近くにあるらしいがわからない。
年末から、八倉比売神社に関する古文書をAIの助けを得て読み下してきた。
しかし、現地に来るとまだまだ知らないことが多いのに驚く。
後2ヶ月くらい調べて論文としてまとめたい。
里山倶楽部四国
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