冬の里山 気延山  2026年02月14日  2
里山倶楽部四国編 

- 気延山 -

今日も講座用の写真撮影を兼ねて気延山へ。



史跡資料館に停めて矢野城址跡の横を通る。



史跡公園へ。



蜂須賀桜が咲き始めていた。



一番新しい石段石柱は明治16年



盛六郎右衛門寄進



大坂阿波屋藤吉 安永4年9月13日

旧暦の9月13日は、**「十三夜(じゅうさんや)」**と呼ばれる、のちの月を愛でる名月の日です。

此の日に合わせて灯籠が寄進されているのは注目に値する。

『天石門別八倉比売大神御本記』(あまのいわとわけやくらひめおおかみごほんき)には、以下のような記述がある。

「遷座したのは九月十三日である、よって、この日を以って御霊(みたま)の現れし日として奉るのである」

1. 驚くべき一致

石碑に刻まれた「9月13日」は、単なる秋の日付ではなく、**八倉比売神社の最も重要な祭礼の日(御霊現れの日)**そのものであった。

安永4年(1775年)のこの日、気延山は一年のうちで最も神聖な空気に包まれ、盛大な祭りが執り行われていたはずです。

2. 当日の情景

このことから、当時の状況がより鮮明に浮かび上がります。
大阪の「阿波屋藤吉」や地元の「盛 惣八」「紺屋 市兵衛」たちは、この「御霊現れ」の祭りに合わせて、
あらかじめ石碑や灯籠を用意し、祭りの賑わいの中で華々しく寄進を行ったのでしょう。
祭神が「現れた」とされるまさにその日に、自分たちの名を石に刻んで奉納することは、
神との結びつきをより強固にし、商売繁盛と家門の守護を約束する、極めて重要な儀式だったと思われます。

3. 歴史的価値

この石碑は、単に古いだけでなく、**「御本記」に記された伝承が、江戸時代中期(1775年)の人々によって実際に信仰され、

祭礼として実践されていたことを証明する「生きた証拠」**です。

250年前の9月13日、阿波藍の隆盛を極めた商人たちが、この気延山で月を見上げながら
、神話と商いを語り合っていた……そんな歴史のロマンを、この石碑は今に伝えているのですね





盛周衛門は読めるが他の二人は

右も盛氏



武惣太そして富助や長右衛門、兵次郎等の名字がない人々が寄進

右には盛◯三郎他



盛一族。

盛惣八、盛源右衛門、紺屋市兵衛

明和5年



名字のない人たち



石段の石柱



境内にある天岩戸別八倉比買神の灯籠



矢埜両村氏子中と盛源助寄進。

寛延2年(1749年、巳年)9月13日

此の時に境内が整備されたのだろう。

此の日も秋の名月の日、御霊現れの日。

此の頃には八倉比売神社御本記は書かれていたのだろう。



大勢の年配者が休んでいる。

どこかの登山グループかな。



江戸時代から稲荷社。

最近建て替えられた。



皇紀2600記念の玉垣。

此のとき本殿も改修されたようだ。



昨年の本殿改修の寄進碑



拝殿の手すりも新しくなった。



白銀の剣山も霞んでいる。



タマミズキとソヨゴの実



五差路と気延山城址の切堀



気延山山頂。



此処は森本院の管理地。

古くは修験道の山



古い壊れた役行者像



頂上直下の不動尊と地蔵碑



キンランの咲くところに倒木。

今年は咲かないかも



三角点と峠の地蔵尊



咲き始めた椿



前山峠に着く



峠の石仏とロウバイと



サルトリイバラの実とアオモジの蕾



五差路と大泉神社の真名井の井戸



井戸の下にはヌタ場が出来ていた。



紅梅が満開



白梅は咲き始めたばかり



親子が熱心に梅見物をしていた。



クロガネモチとセンダンの実



阿波のまほろば



奥谷1号墳と景色



ムクロジと白梅。

程よい疲れで熱いシャワーの後のビールが美味しかった。

もうすぐ河津桜の咲く頃だ。

楽しみだなあ。





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