冬の里山 気延山  2026年02月24日  2
里山倶楽部四国編 

- 気延山 蜂須賀桜 -

蜂須賀桜を楽しみに気延山へ。



椿が咲き始めて、ロウバイはまだきれいに咲いている。



もうすっかり春の気配。



蜂須賀桜が六部咲きくらい。

かわいいなあ。



八倉比売神社参道で一番古い祠。



奥の院の五角形の祭壇と比べてみると、整形されていない。

野面積みの石垣に似た感じがする。



上の祠には貞享3年(1686年)の年号が有るが石積はそれより古いと思われる。

祠の中には、掠れているが野神社の文字が見える。

杉尾山が御神体だった時代を思い起こす。



花崗岩の石段を登る。

此の花崗岩は、藍商が江戸や大阪へ藍を運んだ帰り、バラストとして積んだ帰った石と言われている。



殆どの石灯籠には9月13日の日付が彫られている。

これは、奥の院に鎮座したオオヒルメが御霊現れの日として御簾の奥から現れる日とされている。

丁度、中秋の名月の宵、産子達が名月を愛でながら酒を飲み交わし巫女の舞を楽しんだことだろう。

現在でも新暦10月13日が秋大祭として祭り継がれている。



境内には八倉比売神社と彫られた寛延2年 (1749年) 9月13日の石灯籠が有る。

その頃には山肌を削り、境内が整備されており、八倉比売神社と呼ばれていたことがわかる。



拝殿にお参り。

倉稲魂命(宇迦御魂神)を祀る都神社にもお参り。



本殿横から奥の院へ。



猿田彦の祠の横を登っていく。



五角形の祠。

よく見ると祠の周りにも青石が転がっていて平らに並べられているところもある。



敷き詰められた青石と石英質の角の取れた小石。

此の場所が、祀りの場として整備されていたことがわかる。

江戸期、盛氏などが古墳の真頂上部を削り、出てきた青石で祭壇などを作ったのだろう。



本殿玉垣内ノ古い狛犬と元文3年 (1738年) 9月13日の盛氏寄進の石灯籠。

此の頃には本殿が建立していたと見られる。

本殿前には緑色片岩の塊が見える。



八倉比売1号2号墳の横を通って気延山へ。

剣山は霞んでいる。



真っ赤なタマミズキの実がまだ綺麗だ。



山頂手前の切割の断面。

気延山山頂が緑色片岩の岩塊であることがよく分かる。

決して古墳丘ではない。



東の峰の祠も緑色片岩の岩塊の上に建っている。



気延山山頂。

中世以降、修験者の山だったことがわかる。



入田と石井講中が建立したお地蔵様。



椿がやっと咲き始めた。



前山古墳によってみる。

竪穴式石室を掘り返した跡が残っている。



大きな平たい石は天板だろうか。



また前山峠に帰ってきて昼食。



水仙が綺麗だ。

地蔵の祠も青石の積石でできている。



黒い小さな糞が沢山落ちている。

クスノキの黒い実が見えるので、テンの糞だろう。

イタチの糞も似ているが、イタチは肉食で木の実を食べない。



真名井の井戸を見て、こども広場から下山。



シハイスミレが咲き始めていた。

春ももうすぐだ。


里山倶楽部四国

ホームページにも是非お立ち寄りください