原文全文翻刻・項目別構造化テキスト
およそ践祚大嘗祭は、七月以前に即位した場合はその年に儀式を行う。
八月以後に即位した場合は翌年に儀式を行う。
また、検校(けんぎょう)の行事を定める。
およそ大祓(おおはらえ)の使者は、八月上旬に卜定(うらなって定める)して派遣する。
左右京へ一人、五畿内へ一人、七道へ各一人。
下旬にさらに卜定して祓使(はらえづかい)を定め派遣し、
左右京へ一人、五畿内へ一人、近江・伊勢の二か国へ一人を遣わす。
在京の諸官庁は晦日に集まって祓いを行うこと、二季(六月・十二月の大祓)の儀式の通りとする。
およそ大祓の使者が出発し終えたならば、直ちに天神地祇へ幣帛(へいはく)を供える使者を派遣する。
伊勢の大神宮へは諸王・五位以上の者一人、中臣(氏)一人、忌部(氏)一人、卜部(氏)一人、五畿内へ一人、七道へ各一人。
(中臣・忌部の両氏がその幣帛を供える。)
その規定は、大所にはそれぞれ絁(あしぎぬ)五尺、五色薄絁各一尺、糸一絢(ひとあや)、綿一屯(ひとたむ)、木綿(ゆう)二両、麻五両。
小所にはそれぞれ絁三尺、糸一絢、綿一屯、木綿二両、麻五両、裏薦(うらごも)。
総計九十枚、これらには並べて大蔵省の品を充てる。
(大所・小所ならびに諸神社の前で荷を担ぐ者に対する祭事用である。)
縄七十尋、人夫五十二人、杻(手枷)五十二枝。
およそ天皇が十一月下旬に川上へ臨幸し、禊(みそぎ)を行うための料(品々)は、五色薄絁各八尺、五色綿各八尺。
御服のための庸布四段(よた)、祝詞を唱える際の軾(ひざつき)の料として庸布二段。
安曇木綿八斤、木綿・麻それぞれ大二斤。
黄蘗(きはだ)十枚、鍬四口、鰹・堅魚各六斤、腊(きたい=干し肉)二斗、鮭八隻、塩八升、雑海菜(種々の海藻)八斤、酒米各四斗、稲四束。
食薦(すごも)四十枚、柏二十把、坏(つき)八口、瓫(ほとぎ)八口、匏(ひさご)二柄、随竜二具、輿(こし)を担ぐ人夫六人。
およそ行幸して禊を行うために道中で通り過ぎる神々へ幣帛を奉る。
一座ごとに、五色薄絁各一尺、絁(大は五尺、小は三尺)、糸一絢、綿一屯、木綿二両、麻五両、裏薦、人夫。
(この二種は幣の多少に準じる。)
およそ散斎(さんさい)は一ヶ月(十一月の朔日(ついたち)から晦日(みそか)まで)。
致斎(ちさい)は三日間(辰の日から卯の日まで。その斎月にはあらかじめ諸官庁に告げ、また畿内へ符を下して、神事の清らかな食事に関与してはならないと通達する。
およそ大嘗会の雑用のための料稲(りょうとう)は、国ごとに正税一万束ならびに上下の食を充てる。
事に応じてこれを充てる。(その代わりとして正税を貸し出し、利息を取って補填する。)
およそ抜穂田(ぬきほだ)は、国ごとに六段とする。(百姓が営む田を用い、その代価として正税をもって給する。)
八月上旬に太政官に申し出て、官主一人、卜部三人を差し向け、両国に各二人を派遣する。
そのうち一人を稲実卜部(いなみのりのうらべ)と号し、もう一人を禰宜卜(ねぎのうらべ)と(号する)。
鹿皮一張、庸布一段、木綿・麻各一斤、堅魚・鰹各四斤、海藻・滑海藻(あらめ)各四斤、酒米各四斗、塩四升。
およそ紀伊国が献上するものは、薄鰒四連、生鰒・生螺各六籠、都志毛(つしも)・古毛(こも)各六籠、螺貝・焼塩十顆。
これらは並べて賀多(かた)の潜女十人に量り計って採り備えさせる。
そのための幣帛は、五色薄絁各一尺、倭文(しづ)一尺、木綿・麻各五両、葉薦一枚。潜女が用いる鑿(のみ)十具、刀子二枚。
およそ淡路国が造るものは、瓮(みか)二十口。(各一斗五升を入れる)。比良加(ひらか)一百口。(各一斗を入れる)。坩(かめ)二百口。(各一斗を入れる)。
そのための幣帛は、五色薄絁各三尺、倭文三尺、木綿・麻各一斤、葉薦一枚。作業の道具として、鑵(かなまり)・斧・小斧各二具、鎌二丁。
造り終わったならば、当国の凡直(おおしのあたい)氏一人に着用させ、木綿の鬘(かずら)を着けさせ、賢木(さかき)を持たせて引導させる。
阿波国が献上するものは、麁布一端、木綿六斤、年魚(鮎)十五缶、蒜(ひる)・英(花)・根を合わせて漬けたもの十五缶、乾羊蹄(干したギシギシ)・蹲鴟(さといも)・橘子(たちばな)各十五籠。
(以上は忌部が作る所である。)
鰒四十五編、鰒の鮓(すし)十五坩、細螺(きさご)・棘甲(うに)・贏(さざえ)・石華(せっか/カキ)などをあわせて二十坩。
(以上は潜女十人が作る所である。)
そのための幣帛は、五色薄絁各六尺、倭文六尺、木綿・麻各二斤、葉薦一枚。
作業の道具として、鑵・斧・小斧各四具、鎌四丁、鑿十二具、刀子四枚、鉋(かんな)二枚、火鑽(ひきり)三枚。
これらはすべて忌部および潜女たちに量り計って造り備えさせる。
およそ紀伊・淡路・阿波の三国において、由加物(ゆかもの)を造る使者が京へ向かう日には、道中の国々は道路を清掃し、雑事を供する。(酒米)
およそ春の黒酒・白酒(くろき・しろき)の料米は、まず造酒児(みきのこ)が下り、その次に諸女が共に搗(つ)き終わる。
井戸の神を祭り、次に竃(かまど)の神を祭る。酒の醸造を始める日には、また酒の神を祭る。
国ごとに必要なものは、甕四口、匜(はぞう)四口。(各二口。黒酒用二口、白酒用二口。ともに大膳職が充てる。)
大麻笥四口、臼四腰、杵八枝、箕八枚、摺(すり)三口、籮(こしき)八口、志多義(したぎ)八口、平笥八口、酒槽(さかふね)三隻、明櫃(あきびつ)四合、折櫃二十二合、大案二脚、韓櫃二合、大明櫃一合、小麻笥六口、匏七柄、杓四柄、灰篩(はいふるい)二張、粉篩二張、匜・瓫二口。
曝布(さらしのぬの)をもってこれを覆う。
その醸造する多明酒(ためし)には、国の備蓄米三十斛(こく)を用いる。
およそ造酒司・酒部の一人が、焼灰一人、駆使五人を率いて山に入り薪を採る。
まず山の神を祭り、焼いて薬灰一斛を得る。
費やすところのものは、小斧・釿(ちょうな)・鎌各一柄、明櫃二合、苫(とま)二枚。
およそ大嘗宮を造る際は、前祭の七日前に、神祇官ならびに中臣・忌部の二つの官の人が順次に立ち、悠紀の国司および雑色(ぞうしき)の人たちを率いて、一列になる。
また中臣・忌部はそれぞれ分かれて主基の国司以下を率いて進上する。皆一列(単行)で進む。
それぞれ朝堂院の東西の腋門に至って入り、官地に至る。(竜尾道で左右に分列する。主基は西に、悠紀は東に位置する。)
その地を鎮祭する。
国ごとに備える幣物は、庸布四段、安曇木綿一斤、普通の木綿二斤、麻二斤、釿八口、米一斗、清酒二斗、濁酒八升、鰒四斤、堅魚十斤、海藻十斤、腊(干し肉)一斗、京塩・外塩あわせて四升、匜十口、坏十二口。
およそ国造と酒児は、各々賢木を持ち、木綿の鬘を着け、院の四角および門の処に(位置する)。
終わって斎鍬(いみくわ)と布袋を執り、木綿をもって結び、殿の四(角を掘り始める。)
これまでの検証を踏まえ、『延喜式』が描く阿波の忌部および関連集団の姿を冷静に読み解くと、そこに浮かび上がるのは、後世に作られた「卓越した古代技術者集団」という神話とは大きく異なる、冷徹な実務・労働の現実である。
『延喜式』の規定において、忌部や関連する労働者に支給されているのは、斧・小斧・鎌といった一般的な道具や、作業着(布一丈四尺)、さらには一日あたりの食糧(米二升)である。
儀式の主役として崇められるような姿ではなく、国家の過酷な納期(大嘗祭)に合わせ、支給された資材を元に現地で物資を調達・加工させる「極めて事務的な出張業務(あるいは公役の管理)」を担う姿が見て取れる。彼らは特別な呪術者というよりは、朝廷の規格を満たすための実務を遂行する「在地の実務管理者(窓口)」に過ぎなかった。
調達される品目(布、薪、海産物など)やその分量は、数人の作業員がいれば十分にまかなえる小規模なものであり、その作業の本質は、当時の農民や漁民が日頃から行っている生業の延長線上にある。
特定の神秘的なハイテク技術や排他的な専門知識がなくても成立する内容であったからこそ、後世において「誰でもそのルーツを名乗れる」という不安定さを孕むことになり、それが中世以降の膨大な文書の作成や由緒の競合を生み出す温床となった。
海産物の調達において、漁村の長ではなく「潜女」という個別の技能を持つ作業集団に直接的な支給と管理が及んでいる点は、朝廷が中間マージンや不確実性を排除し、末端の労働力の身体や生産物を直接掌握しようとした中央集権的な統治の痕跡である。
実際の現場では、羽ノ浦の「古毛」の海藻のように、必ずしも命がけの潜水がなくとも手軽に採取できる身近な資源であっても、都の役人が求める「神秘的なおもてなし(演出)」のフォーマットに合わせ、カタログ的な品目として整えられていていた。
『古語拾遺』という嘆願の文学によって救済を求められた忌部氏の姿は、平安中期の『延喜式』の行政システムの中ですでに「冷徹な労働ノルマ」へと還元されていた。
しかし、後世の人々は、この『延喜式』が示す「種類の多さ」や「国家行事への関与」という表面的なカタログ的演出を拡大解釈し、「阿波こそが古代の日本の中心であり、忌部は偉大な技術者集団であった」という壮大なロマン(阿波説)へと昇華させた。
歴史の裏側にあったのは、都の役人を迎えるための「地方の細やかなおもてなし(接待料理の調達)」と、そこに動員された名もなき農民・漁民たちの泥臭い汗と労働である。その現実の姿を見失い、物語だけが一人歩きして熱狂を生む構造は、歴史というものが「いかにして人々のロマンやアイデンティティの道具として消費されてきたか」を、私たちに静かに物語っている。